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NEw (2008年01月03日 ) 

米国から返還されてから40周年」--- 小笠原村

   小笠原空港開設は、実現するか。

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  新年明けましてお目出度うございます。 

 2008年は小笠原村島民にとって、「米国から返還されてから40周年」を迎える節目の年。小笠原村としてハードルを越えなくてはならない課題が山積している。返還から半世紀近く経った今日でも小笠原村の最大の関心である小笠原空港開設は、実現するのだろうか。

 91年度に始まった、第六次空港整備五ケ年計画(90〜95年度)で「予定事業」に組み込まれ「兄島空港」の建設計画が認められたものの、その後、建設地は「時雨山」に変更されたが、石原慎太郎東京都知事の“鶴のひと言”で見送られ、宙に浮いたままだった。

 しかし、07年に新たな建設計画が持ち上がり、小笠原村は国土交通省から求められた村内合意形成(IP)を図るため、情報公開も中途半端なまま住民説明会を行なったりアンケート調査を実施した。が、村民の反応は、いまひとつ関心が薄いと言わざるを得ない。

 そうは言っても、是非、小笠原航空路開設の実現にこぎつけたいものだが、そのためには、おざなりの(IP)を図るための、アンケート調査に精を出すだけでは、空港開設実現への門戸が開かれないことを、森下一男村長をはじめ、リーダーシップをとる人達はもっと認識しなくてはならない。

 確かにこれまでの空港建設には、自然の環境破壊を叫ぶ自然保護派の動きは多かった。環境破壊といっても、騒音、汚染、動・植物群の破壊などいろいろあるが、騒音や汚染公害に比べたら、小笠原が直面している貴重な固有動植物への影響といった問題は、創意と工夫、知恵を出し合うことで、解決への選択肢は遥かに広い。

 にもかかわらず、問題解決への努力を怠った。航空路開設そのものに反対する人はいなかったはずである。なぜ、環境保護や地域開発(受け皿づくり)への知恵と対策を出し合い、村としてのコンセンサスづくりが出来なかったのか。

 本紙は小笠原空港が第六次空整に採択された91年の当初から、空港実現には、環境問題と合わせ航空需要を増やすための地域総合開発プランが最重要課題であると、この点を繰り返し主張してきた。が、これだけ見ても、本当の意味で空港建設への真剣な努力と熱意があったのか疑わしい。

 東京都は、依然、1200メートル級の空港案に固執、村もこれを支持している。関係者は、国土交通省の“御墨付き”さえ手に入ればと思っているようだが、これはすでに時代錯誤も甚しい。補助金を所管する官庁側の事情を考えないご都合主義の地域エゴとしか見られないだろう。環境保護に対する国民の理解と支持が広がる中で、環境保護の理由で反対の強い空港建設に補助金を出しにくい環境に変わっていることを、まず、認識すべきだろう。

 さらに、障害となっているのは、財政面と地域開発整備の点でも、いっこうに具体的な青写真が描き切れていない。村は(村議会も含め)、国会議員や国交省、東京都などに陳情を繰り返しているが、重要なのは、現実を直視し、村自体の立場や状況分析を確固たるものとした上で、“絵”が描けていなくては、相手にされない。

 空港建設に当たっては、空港用地の造成費の地元負担ができるのか、裏付けをもってはっきり証明するだけの根拠は、などの方法を明確に示す事を求められている。これは、基金を設けて、必要な資金を積み立てるのが一般的だが、都は、現時点でこうした措置をまだなにも講じていない。空港が出来ても、飛行機が飛ばなくては話にならない。航空需要を増やす事が前提となるが、それには、“島おこし”に向けた地域総合開発が不可欠で、これも説得力のあるプランが示されていない。

 村は、何時までも上級官庁の都に“顔”を向け、たいした苦労なしに補助金を貰う、“おんぶに抱っこ”の姿勢と、補助金を貰うことだけに慣れた悪しき体質や意識を一掃して、一人前の自治体として「自立の道」を村民と共に確立させ、本気で取組まなければ、まず、「初夢の空港」で終わる可能性が高い。

 それには、国交省から与えられた課題を、適格に掴み解決する事である。さらに、空港実現を果たした他の自治体の取組み例も参考にし、学んでほしい。【山縣浩】

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