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【特別寄稿】空港建設と自然保護

2000年1月16日

   人の命より重いものって何ですか?   

     K・Y(父島在住40代/主婦)


 また、働き盛りの男の人の命が昨日この父島から一つ消えました。風邪の菌が脳に入った事が原因だそうです。自衛隊の飛行艇で本土に搬送され、病院に入院したものの手遅れで昨日亡くなりました。筆者の階下に住む50歳前半の男性で、父子家庭の中、頑張っていた方です。高校生の息子さんは、うちの息子と同級で仲良しでした。暮れの団地の清掃では元気な姿を見せていたのに・・・。突然の隣人の訃報を聞いて、切なさと同時に、持っていき様のない怒りが湧いてきました。

 それは、まだ一年も経っていない昨年の四月、やはり、働き盛りの四十代の女性が病気で亡くなりました。がんで手遅れでした。そこにも残された子ども達の悲しい顔がありました。体の具合が悪くても、本土に出て検査や治療を受けるには、最低十日以上の休みを取らなければなりません。滞在費用もバカになりません。その内に、その内にと我慢している間に手遅れとなっていた悲しい例はこのほかにも幾つもあります。小笠原に住む者にとって明日はわが身なのです。大切な家族の生命をあっけなく奪っていくというこの事実が、六日に一便の航路と1000キロの距離がもたらす厳しい現実なのです。

 残された家族、まして子どもたちが不憫であり、亡くなった当人もさぞかし無念であったろうと思います。

 母島では私の友人のご主人が水の事故にあい、人工呼吸で息は吹き返したものの、硫黄島にもけが人が出たということで、本土の病院に到着するまで十時間以上かかったのです。友人は「主人を助けて。主人を助けて。」と泣くばかりで、私は祈ることしかしてあげられませんでした。そして、本土に着いて程なく、人工呼吸器を外したとの連絡を受けたのでした。  

 本土より1000キロ離れて、六日に一便の船で片道25時間半。診療所ではきちんとした検査も手術も出来る体制はなく、入院設備もありません。救急患者は本土の自衛隊に要請して飛行艇で本土の病院に運んでもらうのですが、その間、さまざまな事情が重なり数時間かかり、実際本土のような救急車の役割は、基地か羽田の飛行場に着いてからのことなのです。

 実は昨年の四月、筆者の主人が脳梗塞で突然倒れ、付き添って自衛隊機で本土に搬送されるという経験をしました。

 奇しくも、上記の女性の通夜から戻った時のことでした。めまいがしたという主人の、コーヒーカップを持つ手が異常にゆれているのに気付き、とっさに実家の母が倒れた時の状態に似ていることに気づいたのです。当人は疲れたといって聞かず布団に潜り込みましたが、私は何度も主人の様子を伺いながら、一晩中まんじりともせず過ごし、翌朝、診療所に行く用意をしていました。八時頃、ちょうどそこへ、知人より電話があり、様子を話すと診療所に急ぐよう言われました。

 診療所では、もう一人の急患もおり、医師は様子を見ながら午前十時に海上自衛隊に急患移送を要請しました。折しも天候が悪く風のため飛行艇は降りられないということで、硫黄島基地からのヘリコプターに乗り込んだのが、すでに夕刻にさしかかる午後四時でした。そして硫黄島基地で自衛隊のジェット機に乗り換えるために、父島より更に二百キロ南の硫黄島に向かったのです。

 強風にあおられながらのヘリの中の二時間は、主人は助かるのか、またこの風の中、ヘリは墜落しないだろうかと、誠に嵐の海に浮かぶ小舟のように心もとない、生きた心地がしないといった心境でした。夕闇の中、だだっ広い硫黄島基地の飛行場に降り立ち、担架でジェット機に移された主人達と、一路羽田に向かいました。眼下に東京の明かりがキラキラ見え始め、雨の羽田に降り立ったのが、午後十時。救急車で都立広尾病院まで行くのに二十分掛かりました。急患移送の要請から病院到着まで実に十二時間二十分かかったわけです。

 MRの脳検査がおわったのが、午後十一時。中程度の脳梗塞ということで安静、入院。私はほっとする間もなく最終の小田急線に飛び乗り、子ども達のアパートに向かいました。子ども達は父の異変に驚いたと同時に、(四月十日)午前に聞いた小笠原からの電話の声の主が、同じ日の夜には目の前にいる事実に驚いていました。正直言って私自身も眼下に東京の灯を見たあの時、時間と距離を飛び越える航空機の威力に感激していたのです。幸い主人は一ヶ月の入院で小笠原に帰ることができました。多少、後遺症が残っていますが、仕事に復帰出来ています。おそらく、もっと急を要する状態なら助からなかったか、ひどいマヒが残っていたでしょう。しかしここに住む限り、再発したら、今回のようなわけに行くかどうか、保障はないのです。その後、仕事の都合とかで退院してから一度も検査に行くことが出来ないでいます。

 このように、急患移送の要請から十時間かかっても助かる命もあります。しかし、急患でこんなに掛かっていては手遅れになる方が多いことも事実です。もし、一日一便、飛行機が飛んでいたなら、検査を要する軽い段階でもっと手軽に専門の医療を受けに行くことが可能になります。さらに二日前後の予定で本土と行ったり来たり出来ることは、医療のほかにも多様なことがらの可能性の枠を拡げてくれることになるのですが。東京より船便で十時間以内の伊豆七島には航空路があるのに、離島のなかで日本一本土より遠い1000キロ以上も離れた孤島でありながら、航空路を持たない小笠原村のこの厳しい現実を、皆さん、どう思われますか?

 米国より返還されて32年。返還直後から航空路の必要性は認められながら、現在まで紆余曲折。この間、幾人の尊い人の命がみすみす消えていったことか。皆さんの大切な家族の命が本来なら助かるものが、上記のような外的な条件で助からなかったとしたらどうですか?

 まさに孤島小笠原では大怪我や急病になったら、間に合わないかもしれない、つまり死を覚悟して生活をしていなければならないということなのです。

 「飛行場を作るにはそこの自然を壊すから、反対だ」「固有種の草花があるから飛行場は反対だ」。そういう声で小笠原の飛行場建設は伸ばし伸ばしにされてきました。固有の一本の草花があるから飛行場は反対だと言うなら、この世に生を受けた人間は誰一人として同じ人はなく、一人一人が固有でかけがえのないものでなくて何なのでしょう。

 自然保護の本来のありようをもっと深く考えるべきではないでしょうか。人間も生きとし生ける者の仲間であるなら、人の生命の尊重無くして自然との共存ということはあり得ないはずではないでしょうか。人の命を度返しして、自然保護を声高に語る人に聞きたいのです。

 あなたの愛する人が満足な医療を迅速に受けられず、まして助かるべきものが、絶対的条件で手遅れにならざるをえず亡くなっても、まだ、人として人の命に代えられるものがあると思いますか?

『人の命より重いものってなんですか?』

 小笠原で父を、母を亡くしたあの子どもたちの悲しみの眼に向かって、「悲しいだろうが、お陰で1本の植物が守られ、内地から来る小笠原ファンは、長いこと船に揺られてくるめったにない旅を楽しむことできるんだよ…」と言うのでしょうか?

※・ご意見、ご感想がありましたら本紙(ymain@ogpress.com)宛お寄せ下さい。


NEW!(5月号)投稿 珊瑚礁

「インターネット発信者の責任と倫理を教育で

       元教師(50歳)

 この一、二年、小笠原でも急速にインターネット人口が増加しているという。以前の市民はメディアから流される情報の受け手でしかなかったものが、インターネットにより、誰もが発信者になった。名前も顔も見せないある個人が、他人の名誉やプライバシーを侵害する恐れが出てきている。現に当地でも書き込み自由なインターネット上の掲示板に、島内の特定の個人を非難中傷する匿名の文が掲載され、島中を駆け巡った。発信者は元より、掲示板を設置し、管理する側にも、表現の自由をはきちがえ、自分の意見に

責任を持たない幼稚さで、平気でプライバシーを侵害している姿が見える。今こそ学校も行政の講習会でも先ず最初に、「表現の自由とプライバシーについて」、「便利さと同時に発信者の責任と倫理性について」など、人権教育をしっかりとすべき時だと思う。


◎投稿特集【村長候補者に望む】ー上ー

●「観光振興にもっと力を入れてほしい」

       父島女性(49)自営

 今年のゴールデンウィークは、最盛期の七割から八割に止まった。商店では六割以下という声も聞かれる。原因として大きいのは往復にかかる時間を含めた日程が取れないことと、高い船賃、滞在費など費用に関することだ。また、安くなった飛行機の運賃で手軽に楽しめるようになった海外旅行、魅力的なメニューと価格で見直されてきた国内旅行など、選択肢が増えてきたことも理由に挙げられると思う。TSLが就航すれば今よりはずっと良くなると思うが、所詮、同じことが壁になると思う。抜本的な解決策としては、飛行場を一日でも早く造ってほしいということである。それまでに村全体で観光立島にふさわしい受け入れの準備をするために、村は観光の振興にもっと力を入れてやってほしい。


「村が生き残るには第三次産業の育成を」

       父島男性(34)自営

 村のやり方で根本的に方向が違っていると思われる点を幾つか挙げてみたい。

 1、まず事業を立ち上げるときのコンサルの使い方が間違っている。コンサルの経験上言うのだが、村がコ   ンサルにどうしたらいいかと意見を聞くのではなく、こういうことをやりたいから、上手にまとめてくれでいいのである。

2、村長は信頼できるブレンをきちんと持つこと。

3、優秀な人材を登用できる仕組みと、厳しいようだが能力のない税金泥棒のような人をきちんと排除できる仕組を作ること。

4、部下のいない管理職のポストを廃止しよう。

5、第一次産業や第二次産業で成り立つだけの許容が無いこの島で、これ以上過分な補助はやめよう。この島は第三次産業でしか生き残れないので、徹底してサービス業重視で行こう。

6、観光サービスの内容は、はっきり言って「高い、まずい、サービスが悪い」という実態であっても、遠い南の島ということで来にくいからこそ許されてきたとも言える。これから往復の時間も短縮されてくると自ずといつでも行きたい時に行けるところと同列に比較され、競争にさらされる。今からサービスとはどうあるべきか考えよう。最後に個人的立場から、

7、旧島民、新島民の格差、差別はそろそろやめてほしい。一、持ち家政策が、税収増加、産業の発展につながると思われるので、もっと強力に進めてほしい。

 ◇  ◇

ー下ー(6月号)

●「これ以上第三セクター事業はやめて」

          母島女性(63)自営

●「今の老人福祉施設を特養形式に」

         父島男性(75)団体役員


 (10.28) 【島民の声】 石原都知事小笠原訪問

 石原都知事は、10月10日から13日までの4日間、小笠原を視察のため来島した。

 島内では、石原知事が訪問前の今月6日、小笠原空港建設に関する問題で内地で行った定例記者会見の中で、都知事が「(時雨山案は)あんなものできるわけがない。「時雨山」の他に建設予定地の代替え案がある」と述べた発言について、「真偽のほどはどうなのか」、「空港は本当に駄目なのか」などと噂が飛び交い、石原都知事の視察を、島民は不安な思いで見つめていた。

※・(本紙は、石原都知事の視察について住民30人を対象に電話や直接取材し、感想を話してもらった。今回は、その中から島民6人を選び匿名で掲載した)


【 匿名希望 父島在住・男子】

 私は小笠原に航空路が出来る事自体には賛成なのですが、時雨山案には絶対反対です。時雨山案に賛成している人の中のどれだけの人が、どの場所に、どのように空港が作られるか、ちゃんとご存知なのでしょうか?一度現場を見れば、この計画があまりにも途方も無いことであることがお分かりなると思います。お金も掛かるし、時間も掛かる。何よりも、自然破壊が著しいと思えてなりません。小笠原は自然を売りにして観光業が成り立っているのに、時雨山に空港を作ってしまって本当にいいのでしょうか?私には、取り返しのつかないことになるように思えてなりません。目先の事ばかりにとらわれず、何故、子孫に美しい小笠原を残そうと考えないのでしょうか?そんな中で、エアヨコハマ社長の面会を拒否したという村長の態度には呆れました。まったく子供じみています。これが小笠原という世界でも有数の美しい島の政治を預かる人の取った行動だと思うと悲しくなります。

 だから今は、都知事が構想しているという3つの代替案に期待しています。これは都知事のモラルの問題にも係わることですが、仕事と称して、ダイビングを楽しんでしまうほど小笠原を愛している人なら、環境の事も、空港の事も、バランス良く考えてくれるのではないかという期待が持てます。空港賛成派のみなさんが崇める二階運輸大臣がどれだけ小笠原を愛してくれていると言うのでしょう?私には彼の発言が人気取りのような空々しいものにしか聞こえませんでした。

 それから、前から気になっていたのですが、島民の9割が空港賛成派というのは事実なのでしょうか?逆に、私の回りの大半が空港反対派なので、どうしても賛成が9割と言う数字が実感できません。いっそのこと、住民の直接投票のようなことを行ってみてはどうでしょう?もちろん、「賛成か反対」という両極端な選択しか出来ない投票では意味がありません。「条件付で賛成」などの選択肢を増やしてです。


【父島 民宿経営・男性】

 小笠原島民にとって(飛行場は)絶対必要なものだ。島民の大多数(90%)は必要と認識している。 最近島に来た新しい人(新島民)はそういう感覚はないかもしれない。今回の知事の来島は、島内での評判は良くないようだ。 

【父島 団体役員・女性】

 こんな小さな島に金など使えるかとか、あれも駄目これも駄目といった捨てぜりふのような発言は、大変失礼だと思う。一人間としても、行政のトップに立つ知事としても、言う言葉ではない。ガバメントの代表として、言葉を慎んで村民に投げかけてほしかった。

【父島 会社経営・男性】 

 2月に来島した二階俊博運輸大臣は「決めたところだから、最後までやれ」といっていた。「ここ(時雨山)以外にまた場所云々すると実現不可能になる」とも、言っている。私どもはこれが運輸省の見解だと受け取っている。 

 いろいろな発言をされているが、村民にどいう影響を与えるかという事を考えて、知事といえども政治家だから政治家としての考え方を示して頂きたい。村民は、「石原さんが都知事の間は空港は駄目だ」と言っている。

 小笠原や硫黄島がこれまで担って来た歴史を理解するなら、少人数だとか財源が無いだけで済まされることではないはずだ。

【父島 自営 女性】

 石原都知事の報道を、翌日のテレビ朝日で偶然見ました。「アッ!石原都知事が父島に来ている」と、主人に知らせました。主人も来島を知りませんでした。いつものことですから、別に気にもしませんが、内地から偉い人が来ると決まって この島では一部の(偉い人?)達だけが知っていて、何も教えてくれません。一般島民は何時もカヤの外です。

 でも、画面を見ていて分かったことは「やはり飛行場はできないな」と、実感しました。初めの内は、知事の発言も如何なものかとか、税金を使ってダイビングを楽しにきただけかなと思い腹も立ちましたが、良く考えると、これまで、村が私たちに言っていたことを思い返すと、表現の問題はあったとしても、 知事の言っていることは誠に筋道が通った話のように聞こえてました。

 また、村長や議会が、知事に「抗議文」を出したらしいと聞いたとき、島のこれからのことを考え「本当に大丈夫なの?、結果の責任を持てるの?」と、不安を通り越してあきらめが先に立ちました。知事の考えに納得できなければ、なぜ、正面から立ち向かって行って話ができないのでしょうか。

【母島 漁業・男性】 

 日程を見ると、ほとんどの時間を海上視察に使っていて、これじゃダイビングにきたと思われてもしかたがない。今、母島としては最も肝心な、東港や蝙蝠谷などの視察は日程にすら入っていなかった。これでは、何のための視察なのかさっぱりわからない。

【父島 主婦・女性】

 「硫黄島に靖国神社の分社を有志で作ればいい」という知事の発言には正直、驚かされた。二十世紀は戦争の世紀といわれ、日本も神国として思想統一された苦い経験への何の反省もお持ちにならないのだろうか。

 公的立場でそれを推奨するのは、まさに時代に逆行する危険さえ感じる。二十一世紀は人権の尊重と信教の自由が守られる時代にしなければ、思想も自由も奪われて国家大儀の命のもとに、尊い命を犠牲にした多くの方々に申し訳ない。

 それよりも一日も早く、未終結の遺骨収集に総力をあげるとともに、遺族の方や硫黄島島民の方々の願い(ゆっくり墓参できるような宿泊所)の実現に奔走すべきではないかと思う。


東京池袋在住

 Y・Iさん(65)

 二階俊博運輸大臣一行の父島訪問に関する盛り沢山の記事と論評を読ませてもらいました。

 二階運輸相は今回の父島滞在中、小笠原空港の実現のためには小笠原村や島民が島ぐるみで議論を重ねて島づくりの計画を立てる事が重要だと指摘していたことが社説で紹介されています。二階氏がこのことをどこで述べたかは紙面では明らかにされていませんが、小笠原新聞が伝えたことによって、二階氏の発言を直接、耳にした島民の数十倍の村民がそれを知った事になります。村民が二階氏の折角のアドバイスを聞き流したりせず、今後、期待に応えて島づくりの構想をまとめあげ、これを空港着手に結びつける努力を怠らないよう祈ります。二階氏の言葉通りこれは非常に重要なことです。


東京都青梅市在住

 Y・Sさん(56)

 小笠原新聞3月号で二階運輸相来島の特集号が目に入り、立ったまま一気に読みました。運輸大臣の訪問で空港問題が大きく前進するように感じられました。

大臣は小笠原へ3回も行ったそうですね。「空港建設はライフワーク」と大臣の熱の入れようには感心しました。

 空港建設が島民にとって極めて大切なものであるかが紙面からよくわかります。特別寄稿の主婦の文章には読んでいて涙が出てきました。「人の命より重いものって何ですか?」島民の切実な叫びですね。「村民の声」にある観光立島には賛成です。自然を愛し残しながら。


小笠原父島在住

 匿名希望

 今回の新聞読んだけど人の命を空港問題とすり替えてる気がしてすごく勝手だと思った。亡くなった人は確かに若くして無念だったと思うけど,

 でもこの空港の無い島の生活を少なくとも有意義に生活してたと思う。あの記事を読むと彼の充実していた人生までも否定してるような気になる。実際彼はこの島をこよなく愛してたと思う。

 そしてあのような死に方をして単に空港が無かったからなんて。人の命をいたずらに人の生き方までを勝手に人が否定できるのだろうか。この島の空港促進派は,本当は私利私欲的な部分が多いのに、やたら人の命を前面にもってきて偽善者ぶっている。

 私は決して人の命が軽いと言ってない。最後に若くして無くなった彼の冥福を心から祈りたい。


森下秀夫さん(ダイビングショップ経営)

 この度、現職の運輸大臣が空港予定地を視察に来られ、建設に向けて大きく前進したという感触で大変嬉しく、やっと希望が見えてきたという思いです。

 折しも、大臣が島を離れる日、義妹が急病になり、一行と共に自衛隊機で内地に急患移送されました。悪天候のため船で硫黄島に行き、自衛隊のジェット機で都内に向かったのですが、義妹は意識が朦朧として、顔色も悪くなり、一時心配されましたが、何とか無事到着し、手術に間に合ったということです。大臣からも、島民の苦労が解り、貴重な経験をしたと言う言葉を頂きました。

 これまで島民は、助かる命も飛行機のない離島だから仕方が無いと諦めてきました。しかし、何より貴重なのは人命ではないでしょうか。一日千秋の思いで、飛行機が飛ぶ日を待っています。

 また、私達観光業の立場から、飛行機がないため、沖繩などと比較し集客手段に大きな格差が生じています。仕事上でも、時間的・経済的に大きなロスを強いられています。

 今こそ、観光立島づくりのため、村も具体的な目標を示し、村民も共に行動に移す時だと思います。

 ダイビングも海の生態系を勉強して「ダイバーが地球を救う」というスローガンのもと、「受動的に観察する」教育的ダイビングを目指していますが、今や自然環境への意識はお客様の方が進んでいますね。島内でも、ごみの海中投棄などもってのほか、島民こぞって来島者を歓迎できる島に、今から準備しなければならなのではないでしょうか。 


笹本好幸さん(民宿/農業)

 空港の建設は小笠原の農業者にとっても切望するところです。小笠原産のマンゴー、パッションフルーツ、パパイヤなどは内地では結構高価な値段で取引されることが見込まれていますが、六日に一便の船の輸送では限度があります。飛行機が飛べば、完熟のものを一両日内に届けることができます。小笠原育ちのトロピカルフルーツは、国内のどこのものよりも糖度が高く、こんなにおいしい果物や野菜を、内地の人達に味わっていただきたいですね。そうなれば、農業者ももっと張り切って作り、農業の経営だけで自立していけるようになると思います。

 十五年前の統計では父島の民宿は二十七〜八軒で、年間の来島者が二万二千人。ところが現在、民宿の数は四十六軒で倍近くに増えているのに、来島者数は二万五千人程度と一割程度しか増えていないんです。これからも民宿をやる方が増えていくと思いますが、船だけでは来島者数は今後も横這いです。現在でさえお客の取り合い合戦になってきています。

 漁業も、釣り客にとって小笠原はあこがれの海ですから、トローリングも解禁にしてもらって、飛行機やヨットで来れるよう村の受け皿を整備したら、まだまだお客は来ます。ただし、今から海は海、陸は陸の制限をかけないと資源が無くなってしまいますから、条例を作る必要があると思います。 

 一日も早く空港を作っていただき、観光を中心に農業も漁業も自立していかなければならないという思いは切実ですね。


長谷部マチ子【談】(主婦)

 二階運輸大臣は小笠原に関して大変理解が深く、是非とも航空路を開設してあげたいという熱意が伝わり、明るい希望が見えてきました。

 私が切実に飛行機がほしいと思うようになったのは、二歳半の下の子が病気で、内地の病院に半年程入院した時です。一年生になったばかりの上の子を島に置かざるを得ず、子どもに電話で泣かれる母親の気持ちは辛いものでした。同室の大島の人が飛行機で往復しているのに、更に遠い小笠原に飛行機がないことが恨めしかったです。

 また、内地に進学した子どもが高校一年の時、マラソン大会のゴールで倒れ、意識を無くし病院に運ばれたのですが、そんな時でさえ、駆け付けることが出来ず、知りあいに看病してもらうしかありませんでした。

 ここで子どもを育て、家族の健康問題など切実な体験をした人なら、航空路の必要性を実感できるはずです。

 在来島民の友人がよく、「飛行機はいらない。昔はよかった」といいます。しかし私は「人口はこれからも増えていくだろうし、昔に後戻りは出来ない。だからこそ、島をより良い方向にしていかなくてはならないのよ」というと納得してくれました。

 空港ができる段階で入島料を設置したり、観光ルートを作り、ガイドとして年配者を雇用するなど、村も種々整備していって欲しいと思います。 

杉浦正明さん(マリンコンダクター)

 二階俊博先生は、十年前、小笠原空港を第六空港整備計画にのせていただいた時からずっと小笠原空港実現のためにご尽力頂いている方ですが、この度、運輸大臣になられて直々に来島され、村民と膝を交えて懇談されているその誠実な姿に感激しました。 

 空港専門の部署の責任者の方も伴って予定地を視察されたということで、実現に向かって一気に前進したなという気持ちです。あと一歩のところは、東京都に力を入れていただき、一日も早く着工の鍬入れをして頂きたいと思っています。

 これまで環境問題などで足踏み状態になっていたことに加え、不況の波も押し寄せ、このまま村はどの方向にいくのかわからず、何か希望の見えない状態でしたが、今回のことで希望と意欲が出てきました。 

 この度の大臣の来島実現は、二階先生と、人脈の太いパイプを持っていた川島都議や宮川村議の陰の尽力と伺っています。宮澤村長と宮川空港特別委員長を中心として、空港実現のため村民も垣根を取り払って、一丸とならなければならない時だと思います。

 そして我々にできることは何かを考え、行動していきたいと、今、真剣にそう思っているところです。


田代美穂(農業)

 二階運輸大臣には、歓迎会の中、父島クラブのメンバーと親しく懇談をする機会を取っていただきました。小笠原のため飛行機を飛ばしてあげたいという大臣の実感のこもったお話しに皆さん感動しておられました。私も「必ず一番機に乗るんだ」という希望と目標ができましたので、是非とも健康に留意してそれまで長生きしたいと思います。

 現在、果樹園をやっていますが、飛行場が開設された時には、お客様にふんだんに小笠原の果物を召し上がっていただけるよう現在その準備を手掛けています。レモンの苗木も数十本植えました。都の補助を受けて建設中の鉄骨ハウスでは、甥の手伝いのもと、本格的にパッションフルーツを中心に植えつける予定でいます。

 街並みにしても今から計画的に住民の手で植栽して亜熱帯の花木の並木を作っていきたものです。

 この度の大臣の形式ではない手応えのある訪問は、長年、愛する我が故郷であるこの絶海の孤島で頑張って来た苦労が報われる時がそこまで来ていることを感じさせて下さいました。


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