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NEw (2007年3月20日 )    

  小笠原村の“常識”“非常識”って?     

 「お手盛り・談合」し放題? 迷走する「統合問題」!!

 小笠原村役場による税金のお手盛りぶり、その実態を聞いて驚いた。3月の村議会決算委員会で明らかにされたものだ。その内容たるや、実体のない団体に予算を勝手に計上したり、受注資格のない一民間業者と契約したりして、300万円もの血税を平気で配分するなど、談合、お手盛りは自由自在?といった、お粗末きわまりのないもの。

 ここはひとつ、賢明な村民にぜひ考えてほしい。こうしたことが平然と行われることが、小笠原の“常識”で、そんなことはないと、異論を唱えることが“非常識”だと思われているとしたら、小笠原の未来はない。「呆れたというか,末恐ろしくなった...」というのが、大方の島民の偽らざる気持ちなのではあるまいか。

 なかでも、小笠原商工会が小笠原村観光協会と同母島観光協会、同ホエールウオッチング協会が「統合」するか否かという問題が問われ、いま村民の間で話題になっている。いわゆる4団体を統合することによって観光の活性化をしようというのである。この問題は、3月7日から開かれた19年度村議会の「総務委員会」「予算委員会」で森下一男村長と議会との間で激論が交わされた。

 それによれば、小笠原村役場は観光振興を計るため小笠原商工会に、小笠原村観光協会と同ホエールウオッチング協会を「統合」させ、これまで以上に?に小笠原村の観光振興をする方針であるという執行部の計画案。

 良いことならやればいいし、不都合ならやらないほうがいいだけのこと。だが、議会の承認も得ずに、来年度予算に盛り込み、強行突破を図ろうとするやり方はいただけない。ルール違反といわれても仕方がない。

 当然、「話が違う」と議会から反発が出た。議会では「“4団体の統合ありき”が先行し、本来の補助団体の整理統合の目的から逸脱している。ましてや、議会の承認も得ないまま予算を計上するなど言語道断」と切って捨てた。

 そもそもこの話が迷走し始めたのは、昨年6月頃からだが、昨年末から村長の肝いりで「統合推進委員会」(委員長・森下村長)が発足し、4団体の統合問題が急浮上してきた。村は公益法人の商工会に、民間団体の両協会を傘下に収め統合させた上で、4月1日から新団体を発足させるということから、話がややこしくなった。

 そうした背景のまま、すでに先月には観光協会とホエールウオッチング協会が臨時総会を開き、商工会との統合に賛成の決議を出している。商工会でも今月8日、「会員説明会」を開き、その席上、商工会長のほか何人かの理事は統合に賛成の意向を示した。だが、出席した大部分の会員から反対の声が上がり「3月27日に臨時総会を開き、その席で会員の賛否を問う」と会長は明言した。

 だが,15日の小笠原村議会予算委員会では「統合団体」への予算執行が否決され、従前通り商工会、観光協会と同ホエールウオッチング協会への予算補助が決められてしまい、「新団体」への予算は“宙”に浮いてしまった。森下村長も知恵を絞って対応策を考えるだろうが、結果として、村民のみならず、議会制民主主義はまたしても舐められ、側近政治がますますまかり罷り通っていく恐れが生じる。そうだとすれば、村民とってこれほどの悲劇はない。 

 村の観光振興を図ることによって、観光客が大勢訪れ、島が活性化することは大切だなどは、誰れでもわかり切っている。だが、行政権力が村民の口をを封じ込めるようとするなら、それだけの根拠なり、誰れもが納得できるだけの方向性、具体的なビジョンが示されなければならない。でなければ、行政と島民との関係は封建時代さながら、支配・被支配の関係に成り果てる。

 それにしても、村は「小笠原村観光協会」という立派なブランドの看板をはずして、新たな「新生団体・小笠原村商工会」の看板を掲げ、それで何をどうしたいというのだろう。「観光振興」大いに結構だが、その前にまず、人間として島民の健全な生活が守られなければならないと私たちは考える。

 権力を笠にきて、独善的な思い込みを勝手に公の場で公言し、それをまた、検証もせずに強引に決めようとする。そんな手法が許されてよい訳がない。なぜなら、小笠原は民主主義の島なのだから...。 

著名なジャーナリスト、むの たけじ氏は云う。“縦に深まらないことは、横にも広がらない”と...。

                               【山縣 浩】

(2004.3.1)

【記者の目】3月号

小笠原新時代への道  「人を大事にする心」


 小笠原諸島は、戦後23年間に及ぶ米軍統治から解放され、日本に復帰して、昨年35周年を迎えた。

 その記念日を島民とともに祝う意味での「小笠原諸島返還35周年記念式典」が延期され、約半年後の本年、平成16年2月7日に開催された。

 当初、返還35周年記念式典は35年目に当たる昨年の7月に開催する予定だったが、 宮澤昭一前村長の突然の辞任、小笠原村三役の不在などの理由で 開催が危ぶまれていた。

 昭和19年、小笠原島民は(硫黄島も含む)政府の命令により強制疎開を余儀なくされ、着の身着のままで本土へ引き揚げた。終戦の年の昭和20年から23年間に及ぶ本土での生活は過酷だった。食糧も不足がちで、頼る身寄りも少なく、子どもたちの教科書にも事欠いた。島民の人々はそんな窮状から抜け出そうと復帰運動に立ち上がる。

 あれから35年。島民挙げての復帰運動の記憶は風化が進む。節目の日に往時をしのび、また学び、語り継ぐことは小笠原村の将来を考える上で不可欠のことだ。さらに復帰後の35年を検証し、その結果をこれからの発展につなげなければならない。

 返還から35年の道のりは、歴史的にもひとつの区切りでもある。どう「村づくり」をし、真の自立を果たすのか。進む方向を見定めて、自ら進み出す足掛かりにしたい。

 数々の返還記念事業に費やした7500万円もの貴重な税金が、将来につながる村づくりに生かされたのかどうか、率直に考察することが重要だ。

 『35周年を機に、私達村民は恵まれた自然の中で暮らすなかで、自然と共生していくこと』とはどういうことなのか、村民一人一人も来島者も、目で見て、体感してわかるような具体的な取組みが必要だ。

 が、今回の返還記念を考えたとき、その根底に“わかりやすい理念の共有”が欠如していたような気がしてならない。

 「都知事ら来賓が来るから出迎えをーー」と、放送していながら、『式典会場には一般島民は入場できません』(実行委員会だより)と広報されていたが、来賓として招待された人以外のほとんどの一般島民にとって『誰のための返還日なのか』と、今回の式典の企画には怒りの声が上がっていた。

 「本来、島民ぐるみで祝うものなのに、これでは島民不在と言われても仕方がない」と、多くの島民からは不満の声が上がっていた。

 そもそも返還記念日は何のために祝うのか、招待する来賓のためではなく、返還を喜ぶ島民が主人公であり、それを共に祝うために訪れるのが来賓ではないのか。その‘基本のこころ’の欠如がこのような形になったと思われても仕方がない。

 「小笠原の歴史」を知ってこそ、進むべき未来が見えてくる。人が人を大事にしてこそ、人と自然が共生する道も見えてくる。

 それが小笠原の“心”であり、35歳になった小笠原が、成熟していけるのかが問われている。 


(2003.6.18)

【記者の目】6月号

 無責任な首長の言動に失望

 一喜一憂していた 島民の存在って!?


 ■先ずは村民に謝罪の言葉がほしかった■

  いやあ驚いた。この人はマッカーサー元帥か、はたまた三船俊郎でもあったのかしら。

 なぜってさる6月14日、宮澤昭一・前村長は自らの辞職のために開かれた村議会臨時会でたった一言、次のような言葉だけを残していったのである。

「男は黙って消え去るのみ。以上!」

 カッコイイ台詞だとでも思っていたのか。それとも最後まで従ってくれなかった村議たちに一矢報いたつもりなのかもしれない(ちなみに故・マッカーサーの名言は「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」。俳優の故・三船俊郎は有名なテレビCMで、「男は黙ってサッポロビール!」とやって流行語にもなった)。

 いずれにせよこうして宮澤前村長は議場を立ち去り、翌々十六日の定期船「おがさわら丸」に乗って家族の待つ東京・杉並区へと旅立っていった。家族を大切にするのはまことに結構であるにせよ、だったらこれまでの一期と2年の日々は何だったのか。これほどまでに無責任な首長の言動に一喜一憂し、生活を左右されてきた小笠原村民の存在って、いったい?

 そもそも村長職の辞任に追い込まれた原因が、彼自身の提出した三役人事を議会に了承してもらえなかったことだった事実を、そう簡単に忘れられてしまっては困る。小笠原村が小笠原村であるためにも重大な返還三十五年記念式典も、宮澤前村長のせいで延期になった。腹の中で何を思ったにしても、辞職に当たってまず第一になすべきは、村議たちならぬすべての村民に対する謝罪ではなかったか。

 もちろん多くのタレント知事や国会議員らがそうであるように、ただ支持されればいいというものではない。ただ、共産党に至るまでをオール与党化させていた村長就任当初の人気がなぜ、ここまで低落したのかを、仮にも首長だったことのある人ならば、ここはひとつ、どうか考えてもらいたい。

 次の村長は誰になるのだろう。どんな人でもとりあえずはよいけれど、せめて自らの過ちや失政は素直に謝ることのできる、まっとうな人であってほしいと、切に願う。


 2003.2月

 社協会長の不可思議な“常識”

       ▼ フツーなら辞任

こんないい加減な会長が張本人にいるからだという

      村民大多数の呆れた声!


 小笠原村社会福祉協議会社協機関紙「がじゅまる(73号)」の新年号の佐藤直人会長の挨拶文と、1月25日に発足した「社協改革検討委員会」の人選問題がいま、村内で話題になっている。

 挨拶文は、「職員の事務処理上の不手際により多くの皆さまにご迷惑、ご心配をおかけしたことを深くお詫びいたします」と述べた後、「些細(ささい)なミスが大きな出来事に繋がることを肝に命じ…。」と述べている。「当該職員の起こした不祥事が“些細(ささい)なミス”だと本気で思っているのかね」(村議員)という声もある。                                     それより何より中身が唖然なのである。なるほど何とか挨拶文の形は整ってはいるものの、「規程等精査検討委員会を設置し」、「失われた信頼を取り戻すべく取組み、定款及び規程の見直し、改正、職員の再教育して失われた信頼を回復したい」とあり、「ご理解をよろしく」と結んである。

 確かに内容不明な文章が羅列されているだけで、文体に社協会員や村民に心から詫びるという思いの意図が全くないと思われても仕方がない。地に落ちた社協の信頼を、役人が書くような無機質な一編の文章で本気で回復できると思っているのだろうか。 「いい加減にしろよ!!」ではないか。                  

 「自浄能力があれば、何も苦労しないで 社協自体で自ら改革すれば済むことで、改めて検討委員会を設置することなどいらない。社協の某役員が『もうこれで終わったのね』と言ってきたときは、唖然として開いた口が塞がらなかった」(70歳代男・島民) 

 会長初め一部役員が、内部改革、不祥事の後始末とすべて頓挫したままで放りだし、副会長と理事一人が責任をとって辞任。後に続く理事もいるというのにそれでも非を認めず、中途半端な挨拶文でごまかそうとしている佐藤会長並びに臆面もなく居座っている当事者の厚顔無恥さ。加えて、理事らの無責任さに村民は完全にサジを投げている。

  佐藤会長が言う「改革」とやらが継続中で成果に希望が持てるなら、村民はとっくに理解していておかしくない。社協の信頼ををメチャクチャにした張本人が「未だに健在!」とはブラックジョークにもなりはしない。明確なぺナルティーもなく、給与もそのままで反省の弁もなくそのままでは、どう弁解したところで認識が甘すぎる。

 「こんな調子だから、いくら状況が悪化しても平気なんです。普通だったら辞めて当然なのに、筋の通らない挨拶文まで書いちゃう。ビックリするような神経です」(元・社協役員)

 一方では、宮澤村長は12月議会で「(社協問題について)認識不足だった。真摯に受け止める。対策委員会のような組織をつくって社協の内部改革に取り組んでいきます」というコメントを議員らに突っつかれて、遅まきながらようやく重い腰を上げ発表したが、形だけ整えて済まそうとし、ここに来てバタバタと会議の回数だけ重ねている。

 しかも、現実に検討委員が問題改革案(村民誰もが納得できる)を出してくれなければ、絵にかいた餅。今や選ばれた検討委員のほとんどが責任を取れないと尻込みしているという。

 選任された委員には気の毒だが、こんな村のやり方で社協の改革など望めない。誰も期待もしていなければ信用もしていない。


◇2002.11月号

  不可解な意見書に問う


 金銭トラブルに揺れる小笠原村社会福祉協議会(以下社協)の会長に、一通の意見書が手渡された。疑惑のA職員には、ただ単に事務処理上の行き違いがあっただけなのだからと、暗に免責を求めている。もとより誰が何を言うのも自由だが、村民に事件の第一報を伝えた本紙に対する、的外れな非難が基調とされているので反論しておきたい。

 意見書は(福祉にたずさわる者として、第一に大切な資質は事務的な正確さよりも、弱い者の立場に立ったやさしさと思いやりの有無だ)と書いている。

 思いやりの有無はその通りだが、だからといって事務的な処理がデタラメでよいことにはならない。まして高齢者の財産や福祉への寄付や補助金など、その金銭の扱いに対して正確さが二の次でいいはずがない。許される領域、不正確さにはおのずと限度がある。

 本紙の記事は〈一方的な個人攻撃〉で、〈Aさんに対してあまりにも敬意を欠いたもの〉であるとも、意見書は言う。冗談ではない。そうであってはならないからこそ、本紙は完全に確認できた事だけを、またA職員を匿名にして報じたのだ。

 それでもいけないというなら、新聞は独自の取材・報道など差し控えろと言われているのに等しい。意見書の主は、個人情報保護法案や人権擁護法案といった美しいネーミングの陰で策動されている、目下のこの国のメディア規制、言論統制への潮流をご存知ないのだろうか。それとも大本営発表だけで埋め尽くされた戦前戦中のような、あるいはチェチェン独立派武装グループによるモスクワ文化劇場占拠事件と、その・解決・問題について、徹底した報道管制が敷かれているロシアの新聞のような紙面をお望みなのか。

 本紙に不満を抱かれたなら、まずは直接、言ってきてほしかった。意見書に名を連ねたメンバーの一人に確認したが、ろくに中身も読まず、事件の詳細まで知らずに義理で署名をしたという。とすればこれは意見書に名を借りた怪文書の類に限りなく近くなってはしまわないか。

 社協は今月一日、それまで自宅待機処分にしていたA職員を復職させた。ただし肩書きの無い一般職員としての扱いということで、それだけを取り出せば、警察の捜査が長引きそうな情勢の下では、致し方のない仮りの措置だとも言えないこともない。

 ただこのような・意見書・に左右された結果でないといい。事件に臨んで社協には今後とも、毅然とした姿勢を望むものである。


 2002.8月号

 行方定まらぬ「小笠原丸」号


 何とも傍聴していて情けなくなった。というより、末恐ろしくなった。調印式後に開かれた村議会の一般質問でのことだ。

 質問に対する答弁者の議論が全くかみ合わないことは、国会でも間々あることだが、この村の議会はいささか異質であるようだ。議論を闘わすと言うレベルなんてものではない。お粗末極まりない村長の発言には、傍聴席から失笑さえ出ていた。

 以下、議会でのやりとりを一部をそのまま再現してみると、「3月議会で政策案件を否決されたが、その後、どうなっているのか」。村長曰く、「重く受けとめ、協議を重ねながら、調整している。議会や執行部にきちんと説明ができていない。想いが先行した」。

 曰く、先ごろ行われたエコツーリズムの調印については「(南島の時から)方法論が大事ですよ。十分な話し合いをして取り組んで下さい。と執行部に伝えた」。これに対して質問者は、「分かるようで、分からない」と切って捨てた。

 これでは分かるどころか、意味不明でさっぱり分からない。小笠原村を預かる首長の発言とは、とても思えない。村長としての発言となるとこれでは困るのだ。情緒だけが先行して客観的な分析もなく、著しく具体性に欠けている。

 極めつけは、「あなたは5年前、村長に就任以来、エコツーリズムを基軸とした政策を掲げ、島の活性化を図りたいと言っているが、いまだにその姿さえ見えてこない。(9月、12月と今年3月議会で )、グランド・デザインを示す示すといいながら、一向に示していない。そんなことで島の活性化が出来るのか」

 宮澤村長は、答える。「厳しいご指摘。3月には示すと言っていたが残念ながら、示せない。村政運営には厳しい覚悟で臨まざるを得ない。村づくりについては、TSLが就航すれば観光客は倍(5万人)になる。執行部がやるだけではなく、そういう土壌を作りたい」と、これまた著しく具体性に欠け数字の根拠も明確でない。

 何度でも言おう。具体的な方針、具体的な政策、具体的な方法、具体的でない“誠治” など,無きに等しいのである。村民が村長に望むのは、閉塞している現在の状況をどう打開して、理想に夢を膨らませることができるのか。と、言うことだ。

 村民も議会なんて馬鹿らしいなんて思わずに、一度議会へ傍聴に来るのも一興かもしれない。いや、是非、行くべきだ。


New2002.7月号

「協定書」石原都知事の小笠原領有宣言か

 海中公園地区の視察”実は終日ダイビング?

          小笠原訪問“名作戦”


 村議会のみならず、観光協会、商工会、ホエール・ウオッチング協会で構成されている「エコツーリズム推進委員会」が自分たちの島は自分たちが一番良く知っていると、自主性と村内合意を主張し、これほど意見が一致したのは珍しい。

 なぜ東京都は協定書の調印を性急に強行しようとするのか。

 自然保護のお題目のもと、東京都が村に調印を迫ってきた「協定」案の細目を定めた「要綱」案のことだ。

 その目的を要約すると「島しょ地域には貴重な自然があるからその保護と利用についての取り決めをする」ということだ。

 条項は「知事は(中略)保全地域を指定することができる」・「知事は野生生物に関し(中略)指針を明らかにすることができる」・「知事は(中略)都自然ガイドを養成し、認定する」・「保全地域に立ち入るときは同ガイドを同行する」と、これでは知事はオールマイティ、全能の神様になってしまう。

 保全地域に指定されたら、原則誰人たりとも立ち入ってはならないそうな。ただし都が認定した自然ガイドが同行すればOKで、ではそのガイドがどれほどのものかというと、都の講習を受ければ誰にでも下りるライセンスの持ち主、というだけのシロモノだとか。ガラパゴスのガイド認定とは、似ても似つかない。

 千キロも離れた新宿から、あそこには行くな、立ち入りたくばお上の目付役を同道させい、とは、徳川の御代でもあるのか、現代は?

 しかるに今回の「要綱」は、細かな取り決めでもなんでもない。石原慎太郎都知事による個人的な領有宣言にも等しいのだ。あの人もその下で働く都の職員たちも、どうやら本気で思い込んでいる。石原知事は全能の支配者で、小笠原諸島は彼の慰安のために存在する私有物。いわんや島民など人間扱いするまでもない臣民に過ぎない、と。

 かかる一方的独善的「協定」の性急な調印に、村議会は反対の意志を示した。あとは九日、都のお膳立て万端ととのい、石原知事自らが意気揚々とやって来る調印式とやらの席上で、わが宮澤昭一村長が、村民の人間としての誇りと尊厳を、きちんと示すことができるのか、どうか、である。

 それにしても石原都知事、今回は七日に自衛隊の飛行艇で来島し、翌八日は終日ダイビングのスケジュール(名目は例によって“海中公園地区の視察”)。報道陣は「おがさわら丸」で九日に着く予定にさせたから、公務と称し遊ぶ様子は知られずに済むという“名作戦”だ。


(2002.4.24)記者の目4月号  

  東京都版小笠原諸島エコツーリズム

 「守ろう東洋のガラパゴス/希少種保護への入場制限区域」

    “地元無視”ここまで来た都の暴走!!


 また、だ。いったい小笠原の主人公はだれなのだ。いいかげんにしてもらいたい、というのが大方の島民の偽らざる気持ちなのではあるまいか。

 4月6日付けの朝日新聞夕刊社会面。「守ろう東洋のガラパゴス/希少種保護への入場制限区域」の見出しがついた都庁記者クラブ発の記事のことである。それによれば、都は自然保護と観光振興を両立させるため、父島や母島(属島も含む)の希少動植物の棲息地域などを指定。立ち入り人数をコントロールする方針であるという。

 いわゆるゾーニングによる自然保護の手法そのものに罪があるわけではない。良いことならやればいいし、不都合ならやらないほうがいいだけのこと。だが今回、都は地元の村に事前の打診も相談も寄せてきていなかった。小笠原の、それも人が住んでいる島々でのことなのに。

 都の暴走もくるところまで来てしまった感がある。

 独善的な思い込みを勝手にリークして、それをまた、受け手側のメディアが、十分な取材や検証もせずに垂れ流していく。東京都は地方自治を何だと思っているのか。いや、そもそも小笠原島民を同じ人間と見なしているかどうかも疑わしい。

 入場を制限して、それで何をどうしたいというのだろう。自然が大切だなどとはわかり切っている。だが、行政権力が人間の通行を封じ込めるほどのことをしようとするなら、それだけの根拠なり、誰もが納得できるだけの方向性、ビジョンが示されなければ

ならない。でなければ行政と住民との関係は封建時代さながら、民主主義ではなく、支配被支配の関係に成り果てる。

 “東洋のガラパゴス”という表現も、もうそろそろどうにかならないものか。かのダーウィンが進化論を構想したことで世界的に有名な赤道直下の諸島にたとえられるほど豊かな自然は、確かに島民の誇りである。だが、彼我の歴史は天と地ほども違う。

 あちらは国際的なコンセンサスの下、一世紀近い自然保護の歴史をたたえてきた。こちらは昔から多くの人間が生きてきて、しかし戦争で政府に強制的に追い出された。戦後はアメリカ領となったが返還されて、再び人間が住む土地となったのである。

 自然保護大いに結構だが、その前にまず人間の健全な生活が守られなければならないと私たちは考える。そうではないとの意見があってもいい。ただしその場合、自然のためだから住民など出て行け、もう一度強制疎開だと堂々と言ってくるべきだ。

 それだけの度胸があればの話だが。


NEW!(2001.12.10)12月号

“自然保護と共生論議”

 人間の生な視点も忘れずに


  何かオカシイ?。―小笠原はテレビ画面の中のバーチャル空間じゃないんだ。少しは島の人間のことも考えて発言してくれよ―。と、この頃、思うようになった。昨年10月、小笠原を視察中の石原都知事は「(時雨山案は)役所のメンツで決めた」から始まり、「貴重な動植物がいなくても、あんなところに空港を作るのは無理」と、発言のたびに空港計画案の白紙化に向けエスカレート。仕舞には、11月13日、「現在の時雨山周辺域を建設地と決定していた現空港建設計画を撤回し、新たな航空路案を検討する」との方針を、東京都はいとも簡単に(?)決めてしまった。

 「小笠原空港と自然保護――」。13年前の1988年、鈴木俊一・東京都知事(当時)が小笠原空港建設計画を高らかに打ち上げて以来、何度となく論じられてきたテーマである。多くの記事が新聞や雑誌を賑わし、少なからぬ数の単行本も出版された。

 住民として、また地元で新聞社として嬉しいような、うっとうしいような妙な気分なのだが、ひとこと言わせてもらえば、それらの大半が単純きわまる、紋切り型の自然保護論に終始している点は、どうにも納得がいかなかった。

 小笠原が“東洋のガラパゴス”の異名をとるとは言っても、南米エクアドル沖に浮かぶ本家本元とは違い、小笠原の固有生物は植物や昆虫の類ばかりが多くて派手さに欠ける。期待外れを露骨に口にして帰って行く自称“自然保護運動家”も決して少なくない。

 環境保護派曰く、“東洋のガラパゴス”に空港は必要ない。曰く、自然との共生を目指した新しい産業を興せば経済的自立などたやすかろう……。言いたいことはわからぬでもない。ただ、そうした主張を繰り返す人々は、多くの場合、内地から千キロメートル離れた島々に住む人間の生活はもとより、彼らが至高の存在と信じるその自然をも、まるで理解してくれていない。

 頭の中で描いた“かくあるべき”理念だけが先行し、その達成のためなら現実の方を斬り捨てて平然としている。彼らの議論には自分以外の人間の“生”に対する視点があまりに希薄だ。大自然の前には人間などどうでもよいとするエセ・エコロジスト的発想さえ散見され、背筋が寒くなることもしばしばである。

 小笠原に生活する人、つまり離島に生きる人間にも、よりよく生きる権利と尊厳が存在することを正視した上で、自然とどう共生していくか、どういう村を目指すのか、あらゆる議論は、そこから始まるのである。


NEW!(2001.11.5)【13年11月号】  

  結論先にありき……! 環境保全「極めて困難」。

     “茶番劇”都環境検討委の「意見書」


 茶番劇とはこういうストーリーを指すのだろう。自らを神か王様だとでも思い込んでいる手合いに理屈は通じないとわかってはいたものの、いやはやこれほどまでとは。

 小笠原空港建設計画が、なんと白紙撤回されてしまうのだという。返還当時からの構想で、鈴木俊一都政の時代から十数年間を費やし、民主主義の手順を踏んで積み上げてきた“村民の悲願”が、いともあっさりと、だ。「陸上動植物、海生動物などに対して大きなダメージを与えるおそれが強い」「包括的な保全方策を予め策定したうえで、その全てについて対策を講じていくことは極めて困難」……。

 都の小笠原自然環境保全対策検討委員会がまとめた意見書を尊重するという体裁が、一応とられてはいる。が、こんな結論ならわざわざ議論するまでもない。小笠原のすべては稀少生物の棲息地で、それでも島民生活のためには航空路が不可欠だから、可能な限り自然環境を保護するために、最有力だった兄島などいくつもの候補地を見直し消去して、最後に残ったのが時雨山だったという経緯が、まるっきり無視されてしまっていた。

 さもあろう。検討委員会に当事者能力などありはしない。小笠原空港など絶対に建設しないという大きな意志が初めにあって、それをもっともらしくするためにでっちあげられた集団でしかないからだ。委員の構成を見れば一目瞭然である。小野幹雄・都立大学名誉教授や清水善和・駒澤大学教授、安井隆弥・元小笠原高校教諭ら、かねて空港建設に反対してきた人々ばかり。

 議論に議論が重ねられた末に、やはり断念するしかないという選択肢も当然あっていい。しかし、いくらなんでもこれは酷すぎる。手続きも世の中のルールも何のその、今回の茶番劇にあるのはただ、裸の王様に叱られるのが怖くて何も言えない腰抜け東京都官僚たちの忠臣ぶりだけ、と思わざるを得ない。

 それにしても不思議でならない。一般に小笠原空港建設に反対してきたのは自然派、革新派と呼ばれる人々だった。その人たちが、こんな乱暴なやり方をなぜ認め、いや、手放しで歓迎できるのか。恥ずかしいとか、恐ろしいとは思わないのだろうか。

 市民が独裁者に熱狂する時、社会はファシズムに覆われ、やがて破滅する。わかりきったことなのに。


(2001.10.13) 【13年10月号】

 「筋の通らぬことばかり」----では困る


 この島ではどうにも筋違いの出来事ばかり起こるので困ってしまう。

 3年前に村役場が父島の地域福祉センター内で行われる高齢者在宅サービスの仕事を、社会福祉協議会に委託しようとして断わられた。その理由が「負担が大きく運営は無理。社協は本来、福祉をコーディネトする役目だ」との旨を答えていたという。村はやむなく、社会福祉法人「明老会」を設立し、在宅サービスを任せることにした。以来、村内の福祉はこの二枚看板が得意分野ごとに棲み分ける形になっていた。

 ところが、村はかねてより懸案だった母島での在宅サービスを、社協に要請する手はずを整えていたことが、この9月議会で明らかにされた。村はいったい何を考えているのだろう。3年前の一件を契機に、小笠原の福祉の基本的なあり方は固まった、とすれば今回も、こと在宅サービスに関する限り、母島でも明老会を基軸に足場作りを進めるべきではなかったか。

 確かに状況は変わった。バブルの残り香がまだ小笠原にはあって、しかも空港建設計画が現在よりはるかに具体的なイメージを伴っていた。折しも、全国的にリゾート開発と特養ホームとを絡めるプロジェクトが打ち上げられていた時期でもある。村の社協幹部がそれらしい図面を見せ歩いていた光景を、多くの住民が目撃もしている。

 日本経済がドロ沼に陥った現在、彼らの構想は“絵に描いた餅”となった。それは大変だろう。明老会を母島でも発足する手間もわからぬではない。しかし、だからといって、「やるべき仕事でない」とまで明言していた組織に、母島が急がれているとはいえ、在宅ケアの大仕事を託そうとする行政の姿勢は、場当たり的で安易に過ぎる。

 どだい、社協の副会長は先の村長選に立候補し、後援会長にはやはり社協の会長が据わっていた。要するに彼らの福祉に対する認識は宮澤村政とは異なっている。 

 それはそれで自由であるのはもちろんだが、ならば出馬前か、やむなくも選挙後にでも、一度はその立場を白紙に戻しておく手続きを踏んでおかなければならなかった。しかるのち、社協の理事会なりで支持されれば会長、副会長職への復帰を諮ればよいのだから。

 人の余生や命までも預かる福祉の組織の基軸が、確かなものでなくて、何で安心できるだろうか。福祉に”暫定的”はない。

 母島の在宅サービスも出発点を曖昧にしてスタートさせれば後々必ず問題がでる。村当局には、斬新で魅力的な、しかも筋の通った新しいプランの提示を求めたい。


(2001.8.3)  【13年8月号】

 小笠原村に“地方自治”はあるのか?


 地方分権の時代であるという。が、少なくとも小笠原村における地方自治の実態は、とてもではないがそんなお題目とはかけ離れてしまっているのではなかろうか。

 三つの話題を紹介しよう。東京都による昨年来の「輸送費補助削減」、「南島入島制限」と、最近の「小笠原アドバイザー会議」の顛末だ。いずれも本紙で記事にしている。

 本土から千キロ離れた離島にもかかわらず、「財政再建に聖域はない」とする石原慎太郎知事の意向で、生活必需品の輸送費補助率が八〇%から三〇%(一部は六〇%)に削減されたのが昨年四月。物価は当然はね上がった。しかし支庁は、アンケート調査の結果「物価の値上げは殆ど無い」という一面的な把握で終わった。離島生活の痛みを汲み取っていない。

 封建時代さながら、“寄らしむべし、知らしむべからず”を支配の要諦と考える都知事の姿勢が、問題をより深刻にしていた。都が村の商店主を集めて説明会を開いたのは、輸送費補助削減が実行に移される、たった一ヶ月前のことだった。

 ある商店主が唇をかんだ。「あらかじめ相談してくれていれば、我々も村と共に、対処の仕方もあった。問答無用でいきなりバッサリでは、とりあえず販売価格に転嫁するしかなかったんです」。

 物価の上昇は買い控えを招き、このため村内の商店の売上高は平均で四割方落ち込んでいる(本紙調べ)。それまでは、ボロ儲けしていたんだろう、と揶揄して済む問題ではない。

 さらに、南島の入島制限は、これも都知事が言い出した。昨年十月の視察で、久々に訪れたら汚れていたから誰も入れるなと発言。すると十二月半ば過ぎになって都庁環境局の職員がやって来て、今年一月八日からの立入を禁止すると、漁協や観光業関係者に一方的に告げた。

 対処のための時間が欲しいと訴えても、都の職員は「コトは緊急を要する」を繰り返すだけ。自然保護協会に現地調査も発注済みであることも明らかになり、あげくの果ては、「とにかく今年度の予算で終わらせたい」との本音も洩れた。自然保護の必要性に異存はない。だが、村民の生活権を認めようともしない都の態度は、一体何なのか。

 極めつけは、「小笠原アドバイザー会議」だ。突然、他人の家に何の断りもなく土足でドカドカ入ってきて、「あーすれば、こうすれば」では、家主の小笠原村も立つ瀬があるまい。


 NEW!(2001.6)

小笠原アドバイザー会議 東京都が初会合(本文は一面)

  誰が決めるの? 小笠原村の'将来計画’


 ハッキリ言って不愉快だ。大きなお世話だと言いたい。わが小笠原村は、どなたかさんを王様と崇める原始の島なのか?東京都が設置した「小笠原アドバイザー会議」のことである。小野幹雄・都立大名誉教授を座長に、この五月三十日にアジュール竹芝(港区)で初会合を開いた。

 アウトドア派で知られる作家の椎名誠氏や写真家の中村征夫氏、ライフセイバーの鯨井保年氏ら、有名人が大勢集まって華やかなこと。都は同会議の意見を参考にして報告書を作成し、年度内に小笠原の観光利用について骨子を策定するとしている。

 心配していただくのはありがたい。が、同会議には、地元小笠原村の人間がただの一人も参加していない。ばかりか、そもそも事前の連絡さえなかったという。アドバイザー会議の発足を、小笠原村役場は翌日の新聞報道で初めて知ったのだとか。いや、正確には少し違う。宮沢昭一村長が5月に東京に赴いた際、打診らしい話がなくはなかったらしい。

 もっとも、所詮は非公式な雑談でしかない。都はそれだけで、村が何もかもを了解したことにしてしまったのである。村長は「ああ、そうですか」とだけ答えたそうだが、改めて役所間の正式なルートで連絡が来ると考えるのが普通だから、これはやむを得ないだろう。何とも村を小馬鹿にした、ふざけたやり方ではないか。

 石原慎太郎都知事は、この六月十一日から十日間の予定で南米ガラパゴス諸島に“視察”に行くという。他の自治体の大将が同じことをやれば、「公費で観光とはけしからん」と住民訴訟を起こされるのが関の山だろうが、彼の場合はいかに。小笠原をかの進化論の島のように見なした観光政策でも始めれば、ガラパゴス行きも仕事のうちということになるのか。南島の件もある。

 さてさて、今度はどんな思いつきが押しつけられてくることやら。島民とウミガメを一緒くたにすることだけは勘弁してもらいたいものだ。


(2001.5.10)

小笠原観光協会

 “軽率な会長発言”に波紋!


 小笠原観光協会会長の“失言”が島内の関心を集めている。4月初めの総会で、彼はこう公言したのだ。「おがさわら丸の運賃を半額にするよう、村や議会に協力してもらって、協会として小笠原海運に働きかける」―― 。このところ観光客の落ち込みが著しい、運賃が高すぎるせいだという主張が、ある会員からなされた。会長発言はこれを受けたものだった。

 この発言を巡って、村長初め村議会は「『運賃軽減』の問題は、村民全体の生活に関わるもので、一観光協会の会長が、どのような資格で発言したのか理解に苦しむ」と不快感を示している。

 五月上旬現在、小笠原観光協会が実際に半額要請を運航業者の小笠原海運に行った形跡はない。他派関係者の猛反対に遭って断念したとも伝えられる。

 だが、もう終わったことだと笑って済ませるわけにはいかない。今後どのように展開していくかわからないし、観光協会の責任者の言葉にしては、あまりに軽率すぎるからだ。

 考えてもみよう。仮に小笠原海運が半額要請に応じたとする。一時的に観光客は増えるかもしれないが、これまでも採算ギリギリで運航してきた海運側は赤字に陥るに違いない。

 赤字を赤字のまま放置しておく企業は存在しない。海運側が離島航路法に基づき国や東京都に赤字申請をすれば、運航には行政指導を受け入れざるを得なくなるのだ。

 数字合わせだけなら、経費削減の手段はいくらでも考えられる。「週に一度の便を十日に一度に減らせ」「速度を遅くすれば燃料費が節約できる」「食堂など潰し弁当を配って我慢させろ」「宣伝費など無駄だ」……。万が一にもそのような介入を許したら、一体どんなことになるだろう。船は半額で海運も黒字に戻った、しかし島民生活は目茶苦茶だ。そんな事態が訪れる可能性だって、大いにある。

 何でも“おカミ”の寛容をあてにする住民運動的な発想は、そろそろ忘れた方がいい。船賃などというものは、結局、市場原理で決まるのである。

 安くしたければ、海運側がそうしたくなるように仕向けることだ。独自の観光企画を打ち出して、定員いっぱいの客を確実に集めるから半額にしてほしい、という具合に持ちかけていくのが筋なのではなかろうか。


NEW! (10.27)

 なにかと“話題を”?残してくれた

  石原都知事の小笠原視察!

    今こそ島民は結束しよう


 ここはひとつ、とかくまとまりの悪い小笠原島民を結束させるために、天が仕組んだ一大トリックと受け止めよう。そうとでも考えなければ、とてもやりきれない。

 石原慎太郎都知事の、今回の小笠原視察だ。島民が数十年も前から営々と積み上げ、ようやく打ち出すことのできた方向性を、彼はいとも簡単に否定してくれた。視察といっても実態はダイビング三昧。現地など、昨年たった一度眺めただけで、今回はキャンセル…。

 「時雨山案」が完璧だとは思わない。欠陥があれば改めるのもよい。財源や自然保護の面でどうしても無理という結論になれば、きちんとした手続きを踏み、納得された上でなら白紙撤回も一つの選択肢ではあるだろう。

 しかし、これではいくらなんでも酷すぎる。好戦的・差別的発言の数々といい、都民がいったい何を思ってこの人物を当選させたのか皆目わからない。が、素人には質問も許さない独裁者になっていただこうとしたわけではないはずだ。

 時雨山計画に反対だった人々にも言っておきたい。このような形で計画が潰れて喜んでいたら、必ず後悔する。空港推進派が多用してきた「自然が守られればそこに住む人間の命はどうでもよいのか」というロジック(論理)が、比喩でなく現実になってしまう。

 われわれは彼の家臣でも家来でもない。民主主義の時代を生きる人間なのである。

 センセイにかかっては、聟島でのダイビングも公務にされてしまう。一万円そこそこのボンベ代を除いた“海中視察”?の費用のほとんどが東京都持ちだった事実を、しかし、こんなふうに考える人もいるようだ。

 「都に払わせて何が悪いの。細かいことを言うんじゃない。ボンベ代だって自腹を切る必要はない。大きなことをしてくれるお人を、枝葉でつついちゃいけないよ」。こういうのを奴隷根性という。

 人間としての誇りにかけて、島民は毅然とした態度を貫こうではないか。都知事に抗議文を差し出した村長にも議会にも、いま熱い視線が注がれている。


(2000.10月号)

  損害賠償問題

       責任の所在を明確に


この島にチェック機能は存在しないのだろうか。

社説でも取り上げているが、あまりに目茶苦茶な話なので、何度でも書く。村役場のミスによる、一連の損害賠償事件のことである。

 今回のケースは、内地に引き揚げた住民の請求を受け、村が転出証明書を発行したものの、送り先を誤って、必要な時期までに届けられなかったというもの。誰にも間違いはあるけれど、いくらなんでもくだらな過ぎる。こんな馬鹿馬鹿しいことのために、多額の血税が浪費されてしまうのでは、納税者は泣くに泣けない。

 裏金を使って補填していた、というのなら立派な犯罪で、担当者は逮捕されるから、まだしもかもしれない。ところが現実は、村議会の全員協議会で役場の課長が経緯を説明し謝罪したという。これを聞いた村議たちは特段の怒りを表すでもなく、村費からの支払いを、いとも簡単に了解してしまっている。何らの責任も追及されなかった。事件は誰のせいでもなくなり、ただナアナアで済まされた。

 いったい、なんのための議会なのだろう。

 小さい問題だと軽く考えるなかれ。規模の小さな事件にきちんと対処しようとしない人々が、たとえば村の存否に関わるような大きな事態に、何もできるはずがないのである。

 仕事は真面目にやる。避けられないミスもあり得るが、避け得るのに避けなかった不始末には厳格な態度を示す、あるいは処分する。あまり続くようなら上の責任を問う。

 役所だろうが民間企業だろうが、それが当たり前だ。そんなこともできない世の中は、すでに人間の社会ではない。

 ここ数年、日本中が最低の状態に陥っている。暴力団の資金源になり下がった銀行は税金で助けられ、にもかかわらず、行員たちは上から下まで、高給を食み続けている。ストーカーに悩む女子大生の相談を受けながら放置し、殺人事件に発展させた埼玉県警。集団食中毒事件を起こした雪印乳業は、経営悪化の前に、役員の辞職でなく末端社員のリストラを強行する。

 あんな連中と同じにはなりたくない。せめて小笠原村ぐらい、まともでいようではないか。


7月号(7.3)

 都営小笠原住宅入居問題

     不平不満が渦巻く住宅行政


 いったい何をやっているんだろうと呆れた。都営小笠原住宅の入居資格問題を取材しての、率直な感想である。

 小笠原を担当する都地域振興課は、争点をほとんど把握していなかった。その件ならあちらへ、と回された先の住宅局では、こんな発言を聞いた。「大きなトラブルは初めて。つまり過去の行政運用は住民に納得してもらってきたということ。実際、一度島を出た旧島民の優先順位が下がることは島民の常識だと、支庁では言っています」

 確かに従来、この問題は当事者間だけで処理されてきた。行政権力の前になす術も無く、不満を抱きながらも、多くの旧島民が泣き寝入りをしてきたとも言える。

 ただ今回は、入居申込を蹴られた旧島民の父親が、問題を公の場に持ち出すことのできる立場にいた点が違っていた。村議会で質問に立った宮川晋議員その人である。

 有力者が相手でも、行政は特別扱いをしなかった。そのことだけを取り出せば結構な話だが、問題の所在に気づいてしまった旧島民に対して、それでも黙って従えというのも酷い。

 公平や過去との整合性といった表現が、怠慢を正当化する結果につながるなら最悪だ。小笠原諸島振興開発特別措置法の下で、あの戦争と、旧島民とをどう位置づけるのかという重要課題に正面から向き合ってこなかった責を、行政も政治も、今こそ負わねばならない。

 もちろん、都営小笠原住宅の課題は、旧島民をめぐってだけあるのでもない。諸島の大半が国有地という特殊な背景がある小笠原村の住宅事情は、そもそも異常きわまる。

 新宿の都庁本庁には届いていなくても、住宅行政の現場には不平不満が渦まいているのだ。父島の住宅困窮者の連帯を求める「住宅事情をよくする会」まで、ネット上に立ち上がった。

 現行の「第二次小笠原総合計画」は、二○○三年における父母両島の定住人口を三千人、最大入込数を二千人(計5.000人)に設定している。旧島民の帰島促進と島の振興開発。テーマの深さ、重大さに比較して、現実に行われていることがお粗末過ぎる。


NEW! (5月号)

   小笠原村議会議員が中国へ視察旅行

    使節団メンバーには、真摯で愚直な視察を望む。


 宮澤村長以下、総勢十人の村議たちが、「日中文化観光交流使節団」に参加する。五月十七日から二十一日まで四泊五日の日程で、香港や海南島、万里の長城などのリゾート地を視察・見学する。

 使節団は運輸省の肝入りで企画された。小笠原村クラスの自治体で十人の参加は異例中の異例だが、先の来島で小笠原空港建設の早期着工を約束してくれた二階運輸相への感謝、あるいは運輸省との緊密な連繋を表明する意味が込められているのは明らかだから、「無駄ではないか」などと単純に非難しようとは思わない。むしろ前向きに、空港建設のためのコストだと捉えたい。

 とはいえ、村財政からそれなりの出費がかさむのも確かな現実である。一人当たり30万円の参加費で、総額300万円の予算が計上されたという。公費を使った物見遊山の雰囲気を漂わせる関係者も、少なからず、いる。空港反対派とされてきた某村議など、「どうせなら高知県に行きたい」と見当外れの要求をしたあげく、結局、使節団に加わった。過去の主張との整合性について、彼はどう考えているのだろう。

 いずれにせよ、中国旅行に同行するだけで村議の仕事が終わると思われては困るのだ。貴重な村費と時間を費やしての公務なら、二階氏や運輸省への義理立てを超えた、プラスアルファが持ち帰られなければならない。

 不安の種は尽きない。たとえば村当局が使節団参加メンバーに配布した日程表に書かれた「参加目的」の文章――。「本年二月、二階運輸大臣の小笠原訪島により、当村の課題とする観光事業の展開、文化・遺産の継承、航空路開設に向けた取り組み等に着目した。この度の運輸省関連の文化観光事業に参加することにより、これまで以上に運輸省との繋がりを深いものとし、今後のより良い村づくりをはじめ、世界のモデル「交流アイランド」を目指すことを目的とする。」

 わかりにくい、というより、日本語になっていない。こういうのを読むと、行政に誠実さを求めるのは無理なのかとがっかりさせられてしまう。それでも言おう。使節団メンバーには、真摯で愚直な視察を望む。


(2000.4月号)

   振り出しに戻って終った「期成同盟」再建策!

    端切れの悪さ目立つ安藤前村長


 二階運輸相の来島をきっかけに、小笠原空港の建設気運が再び盛り上がってきた。すでに東京都が決定済みであるにもかかわらず、不景気や財政難が強調される中で膠着状態に陥っていた感があっただけに、多くの村民が勇気づけられたことである。

 不安が残らないわけではない。歓迎レセプションでの挨拶でも、運輸相の力強い言葉に比べて、建設主体であるはずの都の福永正通副知事はといえば、歯切れの悪さばかりが目立っていた。また村内を省みれば、空席が続いている小笠原空港建設推進期成同盟(鯰江満・会長代行)の会長人事が、ここへきてふり出しに戻ってしまったようなのだ。昨年来、複数の筋から前村長の安藤光一氏を推す声が高まり、本人も意欲的な姿勢を見せていた時期があったものの、最近、やはり辞退したいとの意向を周辺に洩らしている。

 変心の原因は、一部有力者の執拗な反対意見とか。とすれば、村の将来に関わる問題を私的な感情で妨害する方もする方だが、その程度のことにへなへなとなってしまう方も情けないと言わざるを得ない。空港建設計画をとにもかくにもここまで持ってくるまでには、多くの関係者が積み重ねてきた苦闘の歴史がある。それなのに、この人たちは一体、何をやっているのだろう? 大方の村民は、呆れて物も言えなくなっているのではなかろうか。

 もっとも物事は考えよう、ではある。宮澤昭一村長は、もはや期成同盟に過剰に期待することはできないとして、近く空港建設推進のための組織を村役場内に設置する方針を明らかにした。設置に至る経緯は情けなくても、その通りの組織が船出すれば、これは期成同盟のような民間の任意機関と違って、村が都に公の行政ルートを使ってモノを言う、あるいは都が建設推進に行おうとする施策を村として受け入れることができるようになる理屈。

 実際、正式に建設が決まった計画に対して、今さら期成同盟でもあるまい。何度でも強調するが、小笠原村民は何度となく国や都に陳情を繰り返し、都は一九九八年五月、時雨山周辺での着工を正式に決定している。

あとは粛々と、計画を実行に移してもらえばよいだけのことなのだ。安藤氏が期成同盟会長就任を渋り続けていてくれたお陰で、当たり前の事が、当たり前のように動きだした。そう捉えたい。


 (2000年新年号)

役人天国”解せない振興手当と医師の高額報酬

 2.140万円(産婦人科医)1.870万円(歯科医)


 案の定と言うべきか、小笠原村職員による税金のお手盛りぶり、無駄遣いぶりはひどいものである。十二月の村議会決算委員会で報告された平成十(一九九八)年度会計監査の内容は、かねて村民の間で囁かれていた噂を、ことごとく裏付けるものだった。

 とにかく人件費がかかりすぎている。報告によれば、経常収支人件費率は三二・八%で、前年度より三・五ポイントの増加となった。

 やむを得ない場合もあり得るが、小笠原村は違う。民が必死で働いて納めた税金を、役人が山分けする感覚だから、こうなるのだ。

 一例が振興手当や青天井の残業手当をはじめとする各種の特殊勤務手当である。社会通念に照らして形骸化も甚だしくはあるまいか。監査委員もこの点を強く指摘している。

 返還直後で、そのような手当を支払わなければ職員が集まらない状況なら仕方がない。が、返還から三十年以上を経、地元の人間が地元の役場で働くのに、なぜ特別な手当が必要なのだろう。

 出張旅費の支払われ方にも疑問がある。村職員は現在、内地出張をするたびに小笠原海運の一等船室料金と一万円強の宿泊費や食事代のほか、日当を受け取っているのだが、実際には二等船室に乗ったり内地で実家や親戚の家に泊まったりのやり繰りで、数万円単位の旅費を浮かせている者が少なくないと聞く。

 同様の行為が横行していた都小笠原支庁は今年四月、船賃を実費に、内地に自宅のある単身赴任者には宿泊費なしにする措置を採っている。村がこれに追随しないのは、怠慢としか思えない。

 極めつけは村営診療所の医師に対する報酬の異常な高さだ。村の雇用医師二人は自治医大との契約だが、問題は委託医師。産婦人科医一人、歯科医二人、歯科技工士一人の四人に支払った総額は九九年度で約六千二百万円。一人当たり約一千六百万円にも達した。なかで最も高額なのは二千百四十万円にも上るという。

 妊婦が七ヶ月目を迎える頃になると「安全が保証できない」からと内地に送り出してコト足れりとする診療態度にしては、暴利と言えよう。居心地がよすぎるのか、医師たちの中には派遣元の自治医大を飛び越して、村と直接依託契約を結んだ人もいる。

 数年間の勤務なら、一度は小笠原で診療活動をしてみたいという都会の若い医師が大勢いることは、誰でも知っている。にもかかわらず、いつまでこんなことを続けたら気が済むのか。全国いずこも同じだが、小笠原村もまた、甚だしい財政危機に陥っている。それを理由に、上・下水道料、国民健康保険料も、各種の窓口手数料も値上げされた。

「村民も痛みを分け合って……」などと、村当局は軽々しく言う。だが、当の村職員たちは従来通りの役人天国を満喫したまま。一般村民だけが“痛み”を押しつけられているのが実態である。


 (1999.11月号)

 施設栽培用鉄骨ハウス

    矛盾だらけの補助事業


 個人的にはよく承知しているのですが、と、担当者らがが口を揃えていた。わかっているのなら、どうして改めようとしないのか。施設栽培用鉄骨ハウスの問題である。

 東京都は今年度からの三カ年計画で、パッションフルーツ等の果実栽培用で合計三十二棟のハウスを父・母両島に建設し、希望者に利用してもらうことになった。一棟当たりの工費は約一千万円、今年度は十棟だから、約一億五百万円が計上されたのだが、内容に疑問がある。

 十棟の内訳は父島に四棟、母島に六棟。選定の根拠は何か。父島では農協の正組合員に申込さえすれば、農業を営んでいない人がハウスを利用できることになったが、それが果たして公平な措置だと言えるのだろうか。

 今回の鉄骨ハウス建設は、もともと、一昨年の台風で被害を受けた農業者の要望を受ける形で、補助事業が計画されたものだ。にもかかわらず、何らの被害も受けていない、農業の実績も無い、名前だけの農協組合員に割り当てるのは矛盾していないだろうか。

 また、不振をかこつ小笠原農業にあって、まだしも健闘しているのが母島の方であるのは、村民の周知しているところである。

 しかし、小笠原村の農業者一戸当たりの年間平均生産額は約二百万円前後。これに対するハウス一棟に投資される補助金約一千万円は高すぎると単純化する気はない。

 村の自立発展にとって農業振興はきわめて重要だ。とはいえ、だからといって、税金をドブに捨てるがごとき所業が許されてよいはずがないのは言うまでもない。

 過去における観葉植物ハウスの建設。農業用水確保のための水槽設置。畜産事業を奨励する牛小屋の建設……。こした数々の農業振興を名目にした補助事業は、はっきり言ってほとんど“対投資効果”が実らない結果に終わっているのが現状なのである。

 わたしたちの行政は、農業振興の名を借りてあまりにも、机上のプランばかりの無駄を繰り返しすぎてきた。財政難の中の事業を、実効の上がるものにするためにも、書類上の数合わせでこと足れりとする愚は、もういい加減にしよう。農業の自立のためには、長年、汗を流してきた農業人の声を聞くべきだ。 


  (1999.10月号 )     

 小笠原諸島振興開発審議会委員7名が小笠原視察

  「知らせない」「知ろうとしない」悲劇


 内閣総理大臣の諮問機関である小笠原諸島振興開発審議会の委員七人が十月上旬、父島と母島を視察に訪れた。村議らとの交流会も催され、島の事情をある程度つかんでいただけたとは思うものの、どうにも釈然としない。

 小笠原審議会のメンバーは、なぜ毎回、小笠原に縁もゆかりもない人々か、でなければ逆に、政策の当事者ばかりで構成されているのだろう? 審議会とは重要な政策課題について客観的な立場から助言、提言を行うための組織であるはずなのに、そのような人選でよいのだろうか?

 来島したかどうかはこの際問わない。総勢十九人で構成される委員のうち、とりあえず納得できるのは小豆畑孝・小笠原協会会長だけである。都知事や都議会議長、村長、村議会議長らは、まさに当事者。本来ならこのことを問題視すべきなのだろうが、他の顔ぶれを見ていると、彼らは小笠原を知っているだけ結構だと思えてしまう。

 残る十四人中、七人までは官僚上がりだ。委員会会長を務める森繁一・自治体国際化協会理事長と秋本敏文・全国市長会事務総長は自治省出身。赤保谷明正・日本食肉流通センター理事長は農水省出身。岡田靖夫・横浜国立大教授は運輸省で、川崎正道・セコム東洋損害保険会長は大蔵省、田村久仁夫・国立公園協会理事長は環境庁、山口甚郎・経済調査会理事長は建設省の、それぞれOBなのである。一般には現職しか発表されない現実が腹立たしい。以上は人名録の類で調べた結果だが、そうでもしなければ、われわれは何も知らされないのだ。

 彼らの価値観は政府そのものである。審議会など所詮、官僚が勝手に描いたシナリオをもっともらしく見せかけるためだけの存在という定説は、ここでも見事に当てはまるのではないか。

 他に日本開発銀行の理事が一人、新聞の論説委員が二人、大学の研究者が三人、カメラマンが一人。この中の某氏は、先の国会で国民総背番号制法案(住民基本台帳法改正法案)が審議された際に参考人として招かれ、自治省の説明そのままの答弁を展開して失笑を買っていた。

 どうせそんなものさ、と諦めてしまってよい問題ではない。硫黄島の旧島民から故郷を奪った、例の「定住は困難」という政府見解も、最初は小笠原審議会が言い出した形になっていた。無関心は悲劇を生むのである。(終)


(99.年9月号)

 ◆ビジョン伴わぬ村長発言

    東京新聞(8月12日付)のインタビュー


 「終わらぬ戦後・硫黄島に戻れぬ住民」「国は好き勝手やっている」「小笠原の苦悩今もなお深く」「終わらぬ戦後・硫黄島に戻れぬ住民」「国は好き勝手やっている」「小笠原の苦悩今もなおく」。『東京新聞』八月十二日付夕刊に掲載された、宮澤昭一村長のインタビュー記事のことである。

 一読、よくぞ言ってくれたと胸がスッとした。が、少し考えてみて、背筋が寒くなった。社会面トップを六段抜きで飾ったこの記事は、日本政府や東京都に対する村長の痛烈な攻撃に満ちていた。が、勇ましいのは見せかけだけ。発言内容の空虚さはたとえようもない。たとえば硫黄島。旧島民が依然として帰島を許されず、その一方で自衛隊が基地として使用し、NLP(米空母艦載機の夜間離発着訓練)も行っている状況を、村長はこう語っている。

 「島民がいないからといって、島で国が好き勝手にやっていいはずがない。今回、防衛施設庁を訪ねたのは、国への“宣戦布告”の意味。まずは硫黄島の村有地に、村の連絡事務所を設置したい」。とはいえ、NLP問題は現在、暫定的と言えども小笠原村と国との合意事項であるはず。村民として嬉しいことではないが、村長が主張しているような、国が好き勝手にという批判は残念ながら当たらない。

 文句があるなら、最初からきちんと抗議すべきではなかったか。いきなり宣戦布告などされてしまっては、言葉のアヤといえども冗談ではない。“連絡事務所”。現状の硫黄島にそんなものを建て何をしたいのか。どれだけの予算が必要で、派遣する職員の生活をどうするのか、村長は一度でも考えてみた上で、こんなことを言ったのだろうか。

 空港問題についても、村長はこう述べている。〈要は、特別措置法が切れたときに村が自立できる方向に持っていくこと。しかし父島まで都心から二十五時間かかる船が週一便だけ、という交通体系で何ができるのか。村の苦難の歴史を考えれば、一千億円かかる空港を求めたって住民エゴとは言えない〉

 そう。だから小笠原空港は建設の必要を国に認められた。現状で計画が進まないのは、村の側がいつまでも将来ビジョンを示せずにいるからだ。大きな権力に対する批判がいけないというのではない。むしろどんどんやるべきだと思う。

 ただ、仮にも村長は小笠原の首長なのである。具体的な行動や戦略が伴わない情緒的な発言は相手を怒らせるだけ。それで迷惑を被るのは本人よりも一般の村民であることを、もう少し自覚してもらってもよい頃ではなかろうか。


(平成11年7月号)


 空席だった村役場幹部三役のうち二役が、六月の議会定例会で決定した。新しい助役は二十年前の初代総務課長、新収入役はつい先日まで村の総務課長だった方である。

 二人とも、もともとは東京都の職員だった。ああ、東京都の天領としての小笠原の歴史がこれからも続くのかと、これだけ見ればそう思う。自主独立を求める村民の声とは対極ではあるが、何はともあれ安定第一と考えるのであれば、これはこれで一つの見識だと受けとめられないこともない。

 だが、ちょっと待ってもらいたい。わずか二ヶ月前、もはや上位の自治体に行政の教えを乞わなければならない時代ではない。プロパーの職員も育ってきたとして、都からの派遣職員制度を廃止したのは、他ならぬ宮澤村長ではなかったか。

 ならば今回も 、職員の上に立つ三役には、村独自の職員を抜擢してこそ、住民自治の気概を掲げたダイナミックな村政への期待が持てるというものではあるまいか。いや、そうでなければ話が違う。辻褄が合わない。

 宮澤村政は一体、小笠原の将来にどんな夢を重ね合わせているのだろう。自主独立でもない。さりとて安定でもない。三役人事に関するこれまでに経緯は、常にその場限りの人気取りと東京都へのおもねりに終始している印象しか残していない。

 特に新しい収入役には、総務課長時代に返還三十周年記念式典の事務局長を務めた際、様々な不手際を繰り返した過去がある。前村長と前議長への招待状送付を大幅に遅らせたり、来賓招待者の席次を取り違えたり、功労者表彰の主体を条例上の根拠がない式典実行委員長としたりで、村内の人間関係にその都度、深刻な軋轢が生じた記憶は今も生々しい。

 都出身であること以前に、行政手腕そのものにも疑問符を付けざるを得ないのだ。少なくとも議会の場では、そうした問題についての議論が真剣に交わされなければならなかった。

 七人の議員のうち、新収入役の信任に反対した村議が三人を占めたのはこのためだった。しかし彼らの質問に対するまともな答弁はなく、村長の人事抗争はそのまま通ることになった。

 新しい収入役は早々に東京都を退職し、信任に備えて否認の可能性など露ほども考えずに待機していたという。小笠原議会制民主主義はまたしても舐められ、側近政治がますますまかり罷り通っていくとすれば、これほどの悲劇はない。

 三役問題を本欄で扱うこと、これで三度目になった。我ながらしつこいと思うが、それだけ重大な問題なのである。 


◆選挙中に怪文書!!

  卑劣な行為に島民が不快感

 (平成11年6月号)


 選挙戦が終わり、新しい布陣による村議会も軌道に乗ったので、書かせてもらうことにする。四月の村議選の最中、村内にバラまかれた怪文書のことだ。

 東京・中央区の消印。封書の裏に「小笠原をよくする会」と記されて、父島だけでも約四十世帯ほどに郵送されたらしい。A4版ワープロ縦書き。

 (島の方々の良識ある判断により、二年前の村長選においては、A氏の野望から島が守られたようです。しかし、そのA氏が、また今回の村議選に懲りもせずに出馬するようである)(原文は実名)

 このような書き出しで始まる怪文書は、A氏に対する中傷を延々とつづり、さらに他の候補者六人の実名を挙げて、似たような誹謗を重ねていた。村議選の候補者は全部で十人だったから、うち七割が被害に遭ったことになる。

 選挙期間中、彼らは一様に困惑し、「こんなものを騒ぎ立てれば、卑劣な連中の思うつぼになる。むしするしかないが、それにしても許せない」と語っていた。

 小笠原の選挙に怪文書が登場したのは、これが二度目である。今回の怪文書にも触れられている、97年の村長選の時が最初だった。

 匿名の陰で無責任な噂を書きとばす怪文書などというやり方が卑劣きわまることは、あらためて指摘するまでもない。それにしても、こんなものが小笠原でも当たり前のようになってしまいつつあることは、あまりにも悲しいではないか。

 小笠原は大都会とは違う。美しいが小さく狭い島社会では、人心の荒廃はそのまま破壊を意味しかねないのだ。いくら島を憂える言葉を重ねてみたところで、怪文書など、所詮は天に唾する行為以外の何物でもない。

 犯人は不明である。前回と今回の怪文書の主が同じなのか違うのかもわからない。いや、そもそもどんな“効果”をもたらしたのかさえも。

 小笠原村ある限り、村議選や、村長選は、これからも何度となく繰り返されていく。だが、怪文書だけはもう止めよう。

 目的のためなら手段を選ばないような人々が力を持つような、そんな島にだけはなってはならない。


 (平成11年5月号) =この村は一体何なんだ!?=

     問題点追及しない村議会 三役人事問題

   


 小さな小さな小笠原村が、またもや人事で揉めている。助役、出納長、教育長の三役が、揃って辞意を表明しているのである。関係者の話を総合すると、要するにこういうことであるらしい。事は昨年十月頃にさかのぼる。ある日突然、宮澤昭一村長が某氏に「任期を終えたら、次は収入役をやってほしい」と持ちかけた。一方、佐藤直人助役は「教育長に」という話が流れた。

 では島田教育長はどうかというと、ツンボ桟敷に置かれたと思ったからややこしい。村長の構想では某氏にはじき出される格好になる彼には、事前に何の相談もなかったのだ。そのことを知った島田、佐藤の両氏は考え込んだ。根回しが行なわれていない人事は安易に受けられないだけでなく、囁かれていたその噂はやはり本当だったのか、という思いが、二人を悩ませた。

 噂とは――。小笠原村は返還以来、枢要な課長ポストを都庁からの出向者で賄ってきた。しかし、宮沢村長は昨年十二月に開かれた村議会定例会で、「村採用のプロパーの人材も育ってきたので、 定期異動を機に、派遣職員制度を廃止したい」と考えを示した。

 これで長年の習慣にピリオドが打たれることになっていた。ここまではいい。ただ今回、出向を解かれる三人の課長のうち一人が小笠原村に移籍し、特別職に昇格するらしいとの情報が、役場内に流れていた。都からの“独立”を強調しつつ、これでは単なるお手盛りではないか? 役場の職員たちが反発を露にしていた時期に、島田教育長の行き場だけがない構想が示された。

 宮澤体制がスタートしてから、約二年近くが経過した。この期に及んで腹心とも頼むべき三役に逃げられてしまうようでは、この二年間の村政とはいったい何であったのかということになる。 しかし、よく考えるとこうした人事ゴタゴタは、とりも直さず一番迷惑を受けるのはだれか?

   ー住民なのであるー。


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